裏になるもの

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「まじこいS」1 しょーもないシャドーボクシング

1

ああ、わかった。
目の前にないものには当然"想いをはせ"*1なければ届かないわけだが、目の前に置かれたものにはそんなしんどいことをしなくても届いてしまう。
そこで"想いをはせ"ることをやめてしまうやつらが許せないんだな俺は。そこで想うことをやめてしまうんなら最初っから望んだりするんじゃねえよ。

2

目に見えないものといえば、余韻とか予感とか兆しとかいったものもそうでね。
「まじこい」京アフターは川神学園文化祭で京が活躍するシーンで幕を閉じる。艶やかなミニの和服をまとった京から、大和へ一通のメールが届く。

大和「はて京から来ているぞ」
文面を見てみる。
"後夜祭、この服でHしようねっ!"
大和「あざーす!!」
思わずお辞儀した。
京「ふふふ」

で、このあとヨンパチが1枚写真を撮って画面がセピア色になってフェードアウトしていくんだけどさ。みなとそふとに「なんであの和服姿でのHシーンがないんだ!」という声が、具体的にどのくらいかはわからないけど一定数届いたんだって。
そして「まじこいS」では京アフターSに上記のシーンの続きとして和服Hが組み込まれましたとさ。めでたくなしめでたくなし。
あのさー 言えば言うほど野暮なんだけどさー "この服でHしようねっ!"って京に言わせつつ物語を〆るっていうのは余韻を持たせるための技法であってさー そこに「なんで和服Hないの?」とかつっこんじゃうのは、もうそれだけで「私は物語の余韻を感じることができません」って宣言してるのと同じことじゃん。
要望に対して真摯に応えるみなとそふとも大概どうかしている。そういう形でユーザーに応えて行った先になんか未来あるんすかね? 極論すれば「全てのHシーンはゲームの中・テキストの中で表示されなければならない」って言ってるわけじゃん、やつらは。そんな縛りは表現の豊かさを奪っていくだけだと思うのだが、どうか。ユーザーに言われたから作りましたで済む話じゃないよ。
僕は「まじこいS」がどうあっても「まじこい」の価値を一片たりとも損なうものではないと考えている。「まじこい」京アフターをプレイし終えた時に僕が抱いた幸福な予感は、例えそれが「まじこいS」京アフターSとして現前したとしても奪われないし、スポイルしきれるものではない。だから、京アフターSの当該シーンについては言うほど怒ってはいない。*2
ただ、これからも同様の要望と応答が繰り返されるならば、僕、および僕と同じように見えないもの(余韻・予感・予兆……)をテキストから想起し愛する人たちはみなとそふとのゲームを楽しめなくなるのではないか。その可能性には恐れおののくばかりだ。だからこうしてエントリを起こしたし、アンケートにも同じ旨を書く(やべ、発売から2ヶ月経ってるのにまだハガキもWebアンケも出してねー)。
空を切っておしまい。

*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/imaki/20051119%23p1

*2:1回抜いた。